横響合唱団の歩み


[1] 合唱団創立
 横響合唱団の母体である横浜交響楽団(通称:横響)は、1932年(昭和7年)に故小船幸次郎先生、八十島外衛氏により創立されました。 そして、1970年(昭和45年)秋の横響第258回定期演奏会でベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」を演奏するために一般募集した 「横響とミサ・ソレムニスを歌う会」が基になり、1971年(昭和46年)1月に横響合唱団が誕生しました。
 合唱団出演の第1回定期演奏会は、その年の5月に小船先生指揮のフォーレ「レクイエム」(県立音楽堂)でした。 以来、横浜交響楽団付設の合唱団として、横響定期演奏会で合唱付きの曲を、春・秋の年2回演奏しています。

[2] 1970〜1980年代 【オペラへの取り組み】
 合唱団発足当初から横響とともにオペラの演奏、公演にも力を注ぎ、1972年(昭和47年)7月には横響創立40周年記念としてプッチーニ 「蝶々夫人」の公演を青少年センターにて行いました。 1975年(昭和50年)には新装なった県民ホールで「魔笛」を、1977年(昭和52年)フンパーディング「ヘンゼルとグレーテル」を上演しました。 1980年、横響創設者の小船先生に代わり甲賀一宏先生が常任指揮者に就任し、1981年(昭和56年)ビゼー「カルメン」の上演を行いました。 アマチュアの演奏団体としてオペラ上演は画期的なことでした。
 その後も1992年(平成4年)8月には横響創立60周年記念演奏会として「カルメン」を演奏会形式にて演奏、 そして2015年10月の定期演奏会でも同じく「カルメン」を演奏会形式にて演奏しました。

[3] 1990年代
 1991年(平成3年)は、合唱団創立20周年にあたり、バッハの「マタイ受難曲」を翌年4月、県立音楽堂で演奏しました。 横浜療育園での訪問演奏をはじめたのは、1992年(平成4年)11月のことでした。 「第九」をはじめとし、甲賀先生作曲の童謡「ふしぎなめがね」の演奏、療育園皆さんとのクリスマスソング合唱で、皆さんの心の歓びを歌ったという思いでした。 以降2001年(平成13年)まで、毎年訪問演奏を続けました。

[4] 2000年〜2010年代
 合唱団創立30周年にあたる2000年(平成12年)はバッハ没後250年にあたり、10月に「ロ短調ミサ曲」をみなとみらいホール(大)で演奏しました。 そして、2010年(平成22年)10月の合唱団創立40周年には、合唱団創設のきっかけとなったベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」を演奏しました。 併せて、40年史を発行しました。
 2011年(平成23年)3月、東日本大震災があり日本中が震えました。 そのさなかの翌日3月12日には県立音楽堂には公演の支障はないということで、横響団員と来場者の集まりを危惧しつつ定期演奏会を決行しました。 4月には被災者の皆さまを按じつつ、横響合唱団も参加の定期演奏会にてモーツァルト「レクイエム」を演奏、以降演奏会のたびに義援金を募り、 2014年3月の定期演奏会まで総額129万円余りを神奈川新聞社厚生文化事業団に寄託致しました。
 2013年(平成25年)10月、公演予定のヴェルディ「レクイエム」の練習も終盤の時、突然甲賀先生が病に倒れられ、 急遽飛永悠佑輝先生が指揮をとることになりました。  以降飛永先生の指導の下、毎年4月と10月の定期演奏会での合唱曲演奏、また毎年恒例となっている年末の「第九演奏会」の運営、演奏に取り組みました。

[5] 2020年代
 2020年に入り、新型コロナウイルスの感染が世界中に拡がり、練習の休止や演奏会も中止を余儀なくされる中、横響合唱団は創立50周年を迎え、 50年史を発行しました。そして、2022年からは新しい指揮者として泉翔士先生をお迎えし、先生の指導の下で演奏に取り組んでいます。

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